竹からの建築発想 / 2013年
・自然の形
 自然のかたちに直線は存在しない。分子構造が結合して自然の形を形成する被膜は内包された機能を表す。自然物のかたちは対称形がほとんどである。
・竹の利用
 竹は伸直性が早く、広く亜熱帯に分布する。竹は次世代につながる循環型の素材である。竹は軽く安価で曲げやすい材料である。
・感性に響く空間形態
 礼拝所は荘厳な中に、心洗われる静けさと柔らかく包まれる温かさを持った感性の空間である。幼稚園は柔らかく幼児を包む遊びと創造の場であり
 幼子の心に刻まれる風景を持つ感性の空間である。
 美術館は三次元の同貫の廻遊性の展示空間の中に柔らかい自然光を取り込んだ感性の空間である。音楽堂は重厚さと軽やかさの響きを合わせ持ち、
 音楽で柔らかく聴衆を包み込む感性の空間である。

語らう街 / 2001年
都市の中心に近い商業地から住宅に変わるゾーンが急激に変化している。
世代が変わり、閑静な住宅地であった所が高層の商業マンションや駐車場になったり、あるいは空き地のままであったりして、
いわゆる歯抜け状態になって街全体からみると計画性がなくなってきている。
このままではコミュニティの崩壊を招き、 安全で安心な都市での生活ができなくなるのではと思い、理想のコミュニティ像である「語らう街」を提案したい。
「語らう街」は、最小のコミュニティ施設が存在する近隣分区を対象として、2000人規模の人口を有する地区を想定している。
平均6階建てで構成する集合住居を中心に、徒歩で5分ほどの距離で移動できる範囲の一辺200m四方の規模の街区である。
職住近接を考えて1〜2階を商業施設、その上階3〜6階を住居階とした商住混在の集合住居群としている。
これらにとり囲まれた中庭は自然要素を盛り込んだ公園で、自然と人工が共存した空間とする。

全体を平均6階建ての高さとしたのは、人の目が届く、声が届く範囲が20m程度であり、
公園で遊んでいる子供に お母さんが夕方「ごはんですよ」と呼びかける声が届く範囲からだ。
この程度の高さ (階高3mで6階)であれば、人がお互い容易に認知でき、子供を遊ばせていても表情が分かり、目も行き届く。
通りを歩いている人々にも、これくらいの高さなら圧迫感を与えないだろう。
このプロジェクトでは、安全のため車は街区の内側に入れない。 街区の中は、歩行者以外自転車や車いすなどのみ通行できる。
店舗等の搬入・搬出などもあるので、 部分的には時間帯で車を徐行させる。居住者用には、
周囲の道路より2カ所、地下に設ける駐車場(各戸1台ずつ)へのアプローチを設ける。
人々は様々な人と出会えるから街に住むのだ。街に子供たちが出てくると活気が出る。
子供から高齢者まで生活し、語り合える街を回復しなければならない。
建物のファサードに人の動きが分かる凹凸をつけることにより、豊かで楽しい表情となる。
建物のバルコニーからバルコニーへ、建物の窓から道路へと互いに語り合える空間ができる。
思い思いの窓やバルコニー等は住人の個性をあらわすデザインとすることもできるだろう。
歩道は5m程度は欲しい。植栽、ベンチ、案内板、キオスク等道路のファーニチャーをしつらえよう。
看板類は置き看板か店舗階にのみに限定して設置し、一つの店舗につき個所数を限定する。
公園の中央には、鎮守の森があり、夏の木陰や雨やどりの場所となり、
コミュニケーションのシンボル (自然と人工の共生)ともなる。
公園の地面は土の状態を基本に、適度な深さのある川には、せせらぎや池も存在する。
公園には、保育園、老人集会場、診療所が点在する。 また、ここは防災に対して重要なスペースとなる。

公園では、ゴミ処理のリサイクルや雨水を中水道化して飲水に使うことも考えられる。
生ゴミはコミュニティ内部で粉砕し、土壌に返すシステムを採用する。
コミュニティが一体となることにより、 住民による知恵の出し合い、子供の育児交歓など助け合えることも多くある。
自治組織を基にした自給自足の概念を持つということは、一つの地域に住むという実感を沸かせるものだ。
地価が高い場所に実現の可能性はあるか、という疑問が必ず出てくると思う。
福岡で考えれば、現在の商業マンションなどの建設コストと比較して、坪100万円以下の土地があるとこの計画の採算性は十分にあるだろう。
小学校の統廃合などが行われている現実の状況と照らし合わせて考えれば、社会の良質なストック形成、維持の上で十分成立する手段と考えられるのだ。
都市が小さすぎる時、人々は大都市への流出による過疎化に対して不満を持つ一方、
都市が巨大になり始める時、人々は 手の中にかかえられるスケールを見失い、不安な感情を持ち始める。
適度な都市の尺度はどういうものか、子供から老人まで楽しく安心して住める都市をどう作っていくか、
今の子供達が「良いものを残してくれた」と思えるような街づくりをやってゆきたいと思う。